歴史捏造
毀損
- 昔からの 友人に 会いに 行って みようかな というね 昨日 会ってですね お話をして 歴史は 嘘やねん っていう話で いくつか ポイントが あるじゃ ないですか それをね できる 範囲で 説明 して いくんです けれども ある ポイントで 自分は それを 判断する 能力が ないから 私の 言うこと っていうのが 正しいか どうか わからない っていうよりは どちらかと いうと 正しいとは 言えない っていう ポジションを 取っちゃう っていう ところで そこが ちょっと もどかしいな っていうのが あって 一方で すごい 参考に なるなと 思った わけですよ それって どういう 心理状況 なの っていうのを 分析 することに なりましたんで やっぱり それ っていうのは 結局 無力感 みたいな ものなんすよね だから 漠然として あるじゃ ないですか 専門家は 何でも 知っている 私たちが 知らない 情報を よく 知っていて 我々が その 反論を 作る場合 っていうのは 専門家が 知っていることを すべて 覚えてね その上で 反論しないと 同じ 俎上に 立てない みたいな そういう 認識が あるじゃ ないですか 一般社会 ではね でも 専門家 っていう 存在が 諸々の 現象で 何か 一つでも 専門家 たる ことがね 毀損 される ような ことを やっていたら その 専門家の 他の部分 っていうのも 毀損 されちゃう ですよね それが 結局 歴史の 場合は あまりにも 明確に ありすぎる っていう ことなんすよ 明確に ある っていうのは あからさまな 捏造の 話 っていうので 21歳の 新卒の 奴が 琵琶湖疏水 みたいな 見事なものを 作る っていうのは そもそも 現代の 技術でも 5年で 作れねえだろ っていう のを ダイナマイトと つるはしで 作った 話が ありましてと
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