どん深闇
肉食
- 戦後まで 日本人は 肉食 しとらん かったと 長寿村 短命村 本が あるんですけど それにも 書いてある ですよね 北は 北海道から 南は 沖縄まで 直接 足を 運んでね 著者の 人が 行ってる けど 沖縄 でさえ ヤギとかね 食べるのも 何年に 一回だった 書いてる わけ 私の 幼少期 とかも ですね やっぱ お肉 食べて なかった よね っていう 感じで そこにですね 日本の 歴史の ですね 真実が 隠れてると よく 言うじゃ ないすか 在日 韓国人の 人が よく 焼肉屋 やってるじゃ ないですか それで 肉 産業 っていうのは 在日の 人がね やってるのかなと ちょっと 思ったわけ だけど やらされた みたいな 感じだったんですよ 日本に 連れて こられて 調べると 韓国って 肉の 食べる 文化が ないと 食べる 文化がない ちゅうことは さばくとか そういう 技術が ないわけですよ じゃあ 何 江戸時代に 肉 扱ってた エタヒニン 言われてた ような 人たち たぶん 教科書にも 書いてあると 思うんです けど そういう 人たちが いたのかと まず 要は 部落 言われてる 人たちが 戦後の 日本の 食肉 産業をね 引っ張って きたのかなと 思ったわけ 最初に 始めたのが じゃあ 部落とは なんぞやと まず 部落 ちゅうのは 被差別部落 じゃない わけですよ そもそもは ただの集落 っていう意味 意味だったんで 調べたら 同和ですよ したらね 同和 ちゅうのは 1960年代に 同和対策 事業 ちゅうのをね やった いうわけ そこで ちょっと 始まったのかな 一体 何かと 要は 同じように しましょう みたいな 例えば インフラが 整ってない 場所とかは 地域に よって 多分 差がある そこに 国の 補助金を 出して 整備しましょう そういう 事業だった みたい なんですよ 同和対策事業 っていうのが それでね 同和 っていうのは 部落じゃ ないの そういう 意味では 使って なかった わけ でね 同和対策 事業が 始まる ちょっと 前ぐらいに 部落 解放 運動 っていうの 始まってる わけ 同和対策 事業を した 場所 っていうのが その 各自治体に 記録が 残りますわね 当然に それを 共有 してたって いうわけですよ 台帳が できると 同時に 学校で 同和 教育 ちゅうのが 始まったと インフラも 整って なければ 戦後 なんで ちょっと まずしいとか って言って 勉強が できないとか っていう子を 集めて 学校で 別 授業を やったりとか そういうの やってた みたい なんすよ 昔は でね 端から 見たらよ あ 同和 イコール 部落 なんだと そう 印象 づけられたわけ その 時期に でね めでたく 同和差別 ちゅうのが 生まれた じゃねえかと 同和対策 事業をした ところが めでたく 部落に なっちゃったんすよ めでたく あら できましたと おかしいすよ 一連の 流れが 同和は 部落 じゃないのに 同和 イコール 部落に いつの間にか メディア とかでね されてて その 頃に エタヒニン だとかね そういう 被差別部落 だとかいう 言葉を 作り もともと 差別 されてた 肉食 とかに 携わってない 人が もともと いたんですよ みたいな イメージに なるじゃない ですか その イメージを 作ったのが 1960年代だと 言うことで あれば ですよ 給食でね 一体 いつ頃 肉を 頻繁に 給食に 出し 始めたのか っていうので そう 鯨 なんすよ 鯨 それは 記録が 残っていて タンパク源を どうするか っていうので 鯨を 出しましょう っていう 取り決めを してるみたい なんですよね 一般の 家庭 とかも 多分 同時期に 鯨が 出回ってた はずで それは お魚屋さんに 売ってた はずなんすよ だけど ありゃ 肉なんすよ 動物の 要は 戦後まで 肉をね 食べる 習慣が なかった 日本人に まず 鯨の肉を 食べさせた わけ 国ぐるみで でね 慣れてきた ところに ですよ 始まった わけですよ 畜産が
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